先日、『平成ゴジラVSシリーズ』について取材を受けたんですが、改めてあのシリーズを振り返って思ったのは、やっぱり人気が出るなりの理由があったんだなあということ。
それは何かと言うと、要素はいろいろあるんですが、作品としての内容に絞って言えば、VSシリーズのゴジラは強いということ。ゴジラの強さを存分に描いてるんですよね。
しかもその上で、対戦する敵怪獣は、
『超ゴジラ』を謳ったビオランテに始まり、
劇中で未来人に「ゴジラ以上の怪獣」と言われたキングギドラ、
過去にゴジラに勝っているモスラとそれ以上のバトラのタッグ、
メカゴジラやスペースゴジラは言うに及ばず、
そして最後の「ゴジラを倒したオキシジェン・デストロイヤーによって生まれた」デストロイアまで、
いつも「ゴジラ以上の怪獣」として設定されているんですね。それを主役のゴジラが苦戦しつつも最後には打ち負かすという、バトル物の王道を行く展開なわけで、これで燃えないわけがない。
そういう視点で見ると、ミレニアム以降のゴジラというのは、ゴジラの強さを各作品の中で充分に描いたとはいえないように思えます。しかも敵はいつもゴジラより格下だった。ために多少苦戦しても「ゴジラがやられる」という危機感(?)はあまりなく、「VSシリーズ」の対決シーンにあった「最強怪獣同士の頂上決戦」というノリからは遠かった。これでは勝負としては盛り上がらないし、敵怪獣も魅力的には見えてこない。
それは『VSシリーズ』が終わってからあまり間がない時点での復活で、前シリーズとの違いを出すために「対決を売りにする」というのとは違う方向性を模索した結果だったのかとも思うのですが、やはりシリーズとしての怪獣映画の一番の醍醐味は、怪獣同士のバトル!という部分は動かしがたかったいうことでしょうか。SF的な設定や人間ドラマも大事ですが、それもバトルが盛り上がった上でということで…。
もちろん、バトルの展開、いわば戦術的な部分では、盛り上がるように知恵を絞ったわけですが、物語全体の構造として最終バトルが盛り上がるように持っていけていたか…。
その点で、『平成ゴジラVSシリーズ』は非常に上手くやっていたんだなあと改めて思うのでした。
それは何かと言うと、要素はいろいろあるんですが、作品としての内容に絞って言えば、VSシリーズのゴジラは強いということ。ゴジラの強さを存分に描いてるんですよね。
しかもその上で、対戦する敵怪獣は、
『超ゴジラ』を謳ったビオランテに始まり、
劇中で未来人に「ゴジラ以上の怪獣」と言われたキングギドラ、
過去にゴジラに勝っているモスラとそれ以上のバトラのタッグ、
メカゴジラやスペースゴジラは言うに及ばず、
そして最後の「ゴジラを倒したオキシジェン・デストロイヤーによって生まれた」デストロイアまで、
いつも「ゴジラ以上の怪獣」として設定されているんですね。それを主役のゴジラが苦戦しつつも最後には打ち負かすという、バトル物の王道を行く展開なわけで、これで燃えないわけがない。
そういう視点で見ると、ミレニアム以降のゴジラというのは、ゴジラの強さを各作品の中で充分に描いたとはいえないように思えます。しかも敵はいつもゴジラより格下だった。ために多少苦戦しても「ゴジラがやられる」という危機感(?)はあまりなく、「VSシリーズ」の対決シーンにあった「最強怪獣同士の頂上決戦」というノリからは遠かった。これでは勝負としては盛り上がらないし、敵怪獣も魅力的には見えてこない。
それは『VSシリーズ』が終わってからあまり間がない時点での復活で、前シリーズとの違いを出すために「対決を売りにする」というのとは違う方向性を模索した結果だったのかとも思うのですが、やはりシリーズとしての怪獣映画の一番の醍醐味は、怪獣同士のバトル!という部分は動かしがたかったいうことでしょうか。SF的な設定や人間ドラマも大事ですが、それもバトルが盛り上がった上でということで…。
もちろん、バトルの展開、いわば戦術的な部分では、盛り上がるように知恵を絞ったわけですが、物語全体の構造として最終バトルが盛り上がるように持っていけていたか…。
その点で、『平成ゴジラVSシリーズ』は非常に上手くやっていたんだなあと改めて思うのでした。
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